2005年6月 6日

[ 映画 ]

映画「ミリオンダラー・ベイビー」

「本年度アカデミー賞作品賞受賞作」ということで、見てきました。

ミリオンダラー・ベイビー

以下、完璧にネタバレなので注意。


予告でなんとなく、この女性ボクサーは死んでしまうのかなぁ、と思っていたんですが、そんな単純なものではありませんでした。

モーガン・フリーマンの語りで静かに進む序盤。ヒラリー・スワンク演じるマギーが、クリント・イーストウッド演じるフランキーと心を通わせつつ快進撃を続ける中盤、そして急展開…。

娘と離れ、消えゆくゲール語を学ぶ老トレーナー・フランキーと、家族はトレーラーハウスで生活保護を受けて暮らしているマギー。家族の愛情に恵まれない二人の貧しいアイリッシュと、元ボクサーのスクラップ(モーガン・フリーマン)。三人が心を通わせていく様子は、静かで温かかったです。

派手な演出も、スマートなアクションもなく、全体的に淡々と進んでいきます。ボクシングの試合のシーンは、泥臭くて、痛そう…。

試合の方は快進撃を続けていても、いくらお金を稼いでも、家族とは心が通じないマギー。娘に送った手紙はことごとく戻ってくるフランキー。

そして、思いもよらない試合中の事故。

そこから後が、芝居としては圧巻なのですが、見ている方はやはりつらかったです。

実は、この後にDVDで映画「半落ち」を観て、この映画との対比で「生きること」「尊厳死」について、とても考えさせられてしまいました。

この映画でマギーは「頭以外が死んでしまった」状態。実際、先年亡くなったクリストファー・リーブと同じ状態です。一方「半落ち」では、アルツハイマーで「脳(人格)が壊れていく」妻を殺してしまった夫の話。

どちらも、本人たちが「生きながら死んでいる」と思っている点では同じなのですが、状況は180度違います。結局はどちらも、本人の意志に従って、その人を一番愛している(と思われる)人が手を下してしまうのですが、それは本当にそれで良かったのか…。確かに、本人はもちろんですがそれを間近で見ているつらさは、想像を絶すると思います。でも、周りがそれを「つらい」と感じれば、それを察した本人はさらに自分の存在を否定する方向に行ってしまうのかな、とも思います。

特にマギーは、体こそ動かないものの、会話もできるし、意識もしっかりしています。人間らしい感情もあるし、コミュニケーションはきちんととれます。でも、自力で呼吸はできない…。でも「いっそ死にたい」と思い、舌を噛み切って自殺を図り、助けられてしまう。

経験なカトリックであるフランキーの苦しみはいかばかりかと思いました。やはり、後味は決して良くありません。

「人間」はどこまで「人間」で、どこまでが「生きている」ということなのか。私にはやっぱり答えられそうにありません。

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